2020年12月31日(木)
【大晦日】
 
とうとう今年も終わりを迎えようとしている。
仕事とコロナの関係で帰省ができないため、2年ぶりの自宅年越しである。

大変天気が良い。昨日、外出納めをしてしまったのが悔やまれる。

さて、今年を振り返ってみる。

まず、1月。
積み立てNISAを始めた。ただし、このときは入金という概念を理解していなかったので、何の株式も買っていなかった。ただ、私自身はもう投資家気取りなので、株価の上がり下がりを追って毎日一喜一憂していた。また、メモによると、今年の1月は僕の中で中国茶が熱かったようである。言われてみれば、専門店にお茶を飲みに行っていた気がする。
また、都都逸(7・7・7・5)を作成していた。厳選して、1本ご紹介する。

甘さ控えて
油を捨てて
塩も減らすが
2合食う

そして大きいところで言うと、転勤が決定したことは外せない。

2月。
2月は、引っ越しの準備をした。1日だけ。
また、自分に関するクイズを100問作ろうと思い立ち、作成を始めた。
今確認したら、70問程度で頓挫していた。我こそは解きたいという人は、ご連絡ください。
投資できていないことに気付いたのも2月で、ようやく入金をしたんだけど、この頃にコロナショックというやつがきて、毎日損を増やしていた。

3月。
マジで引っ越しの準備を頑張った。
また、メモによると、美味しいドライフルーツの美味しさに味を占めてしまったようである。
それと、3月17日時点で、「オリンピック1年延期と見た」とメモしている。そんなメモを残しているくらいだから、まだ決まっていなかったのであろう。それか、未来の自分を欺こうとしたのかもしんない。
アプリで「らんま1/2」を読んで感動している。そういえば、最後まで読む前にキャンペーンが終わってしまったのだった。最後まで読む機会を追い求めたい。
そして、千葉県にグッドバイをしたわけ。

4月。
新しい職場に慣れるために頑張っていた気がする。電気屋さんとかにもよく行っていた。
ツタヤが近くにあることが分かり、毎週のようにマンガを借りて読むことになる。また、スシローが近くにあることが分かり、毎週のように寿司を食べに行くことになる。
メモによると、この頃はまだ、どうぶつの森を熱心目にやっている。テレビは、コロナの影響でどの局も総集編ばかりやっていた気がする。
外せないのは、東京にあるとある居酒屋の閉店である。大変、物悲しい思い出となった。
筋トレを始めたのは、4月からである。

5月。
この頃から、投資がプラスに転じてきた。
マンガを読みながら筋トレをし、寿司を食っていた。
見知らぬ土地に転勤し、コロナで東京にも出られない中、「ひとりでできるもんマインド」を持たねばならぬと決意していた。

6月。
マンガを読みながら寿司を食っていた。
ただ、腕を痛めて、ちょっと筋トレできなくなっていた。
車の購入を本格的に考えるために、まずはカーリースの力を借りた。
生まれて初めて車のある生活を味わい始めた。
メモを見ると、クイズを作っていた。
「恥ずかしがりやな倉庫ってなーんだ?」
答えは最後に。

7月。
マンガを読みながら寿司を食っていた。もうこれはね、ずっとである。
車の購入を決定した。
生まれてから、最高価格の買い物である。

8月。
年を取った。
テレビのリモコンの調子が悪く、電気屋に見せに行ったところ問題ないと言われ、帰宅したら直っていたという事件があった。
そして、車を受け取りに歩いて歩いて歩いたのも、炎天下8月のことであった。

9月。
(車がある人にとっての)近所のボードゲームカフェに行き、小学生にぼこぼこにされた。
国税調査を受けた。また、メモによると、スシローにて2回連続で注文していたネタを横取りされ、激怒していた。

10月。
中途半端な時期ではあるが、ちょっと帰省して、家族でマリカーをした。

11月。
ネットで見つけた大変お洒落な服を購入すべきかどうか悩み、購入した。

そして、今月であるが、仕事で忙しくしていた。
仕事が忙しいと感じるのは、久々である。
転勤して職場が変わると、色々と変わるものだとしみじみとする。
本当に、転勤のある仕事で良かったなあと思う。終わり、というか、区切りがあると思わないと、何もかもやっていけない。

しかしそう考えると、区切りのない人生を送ってきていないので、数年で環境が変化するという「区切り」(転勤や引っ越しなど)が約束されていない生活というのは、いったいどんな感覚なのだろうと考えてしまう。

私の場合、小学校のときは親の転勤やら、学校の卒業、大学進学のための上京などがあったりで、勝手に(もしくは、自身の欲するところの副産物として)人間関係や環境がリセットされ、「はい、じゃあ初めからね。」という宣言をしてもらえるのは、内心ありがたく思っていたものである。いや、そんなに悪環境にいたとは思わない。思わないが、どんな環境にも苦労はあって、自分で決着の付けられないそれが終わるのは僕にとっては大変ありがたいところだったのである。

そう、そこ。どうなんだろうか。皆は、苦労を乗り越えながら毎日生活していらっしゃるのだろうか。自力で区切りを作って、決着を付けていらっしゃるのであろうか。

そういう意味では、私は、苦労というのは期間が終わるまでやり過ごすものであって、試行錯誤しながら立ち向かうものと思えないでいる。
思えないでいるが、もしかすると、どれだけ待っても終わりの見えない苦労が存在するなら、さすがに私も立ち向かうのだろうか。
そんなことを考えると、やっぱりね、外から生活に区切りを付けてもらうのは、それはそれで大変楽である。私。

またまた、そう考えると、年越しのパワーのなさといったらない。生活への影響のなさと言ったらない。
年が越しても、西暦や和暦の数字が1つ進むだけで、個人の生活に余りにも影響がなさ過ぎる。
季節が変わるわけでもないし、クラス替えもないし、新しい出会いや別れが訪れるわけでもないし、なんもない。なんなんだこれは。今更だが、多少肩すかしの感覚が芽生えてきた。

それでもやっぱり、年越しに訪れるこの高揚感は無視できない。
これは、何かしらの変化や区切りが生じるのではないかという期待に違いないので、つまり、昔から言うところの「一年の計は元旦にあり。」というやつなのだと思う。
「さあ、1月1日になったぞ。新年だぞ。カレンダー上の区切りは付けてやったぞ。さあお前どうするんだ。」と、区切りの神様が一方的に言ってきて、肝心のどう区切るのかとか変化の中身というのは自分で考えなさいよということだと思う。
それで、だから、テンション上がって、毎年、大晦日やら1日やらに何かしら目標や決意を持ってみようと踊らされるんだけど、まあ、なかなかうまくいかない。

だからやっぱり、上から押し付けられる区切りというのは、不満もあるにせよ、私のような人間からすると、ありがたいところもあるという話である。
ただまあ、来年も、とりあえずテンションに任せて何かしらの目標は立てたいと思う。

ちなみに、クイズの答えは「おくゆかしき倉庫」である。
良いお年を。



12/31^00:12
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