2020年11月28日(土) 【カフェオレ】 ワケあって(ワケはすぐ明らかになる)、こんな時期ではあるが、カフェでsurfaceを開いている。 カフェで薄型のノートパソコンを開くのが夢だったからである。 カフェに来たは良いものの、私はコーヒーが苦手である。なので、普段は紅茶であったり、コーヒーとは呼べないような甘くて冷たくてクリームが乗っているコーヒータイプ系統の飲料を頼んだりする。のだが、実は私は最近カフェオレにはまっているので、本日はカフェオレを頼む。 コーヒーが苦手と言ったが、高校生頃まではよくコーヒーを飲んでいたし、味が嫌いなわけではない。どうやら、この身体がコーヒーを苦手としているようだと気が付いたのが、高校3年生頃である。それまで、なんだかコーヒーを飲むとお腹を壊すし体が震えてくることがあるなと思ってはいたが、ミスドで死ぬほどカフェオレを飲んで死ぬかと思ったときに確信に変わった。 さて、surfaceを手に入れてから、こそこそやっている極々プライベートなことがある。 「日記」のコピーである。 噂では、長いことブログをやっていたのに、いきなり運営がサービス終了を宣言した結果、自分の知らない間に過去の記録が全部失われるなんていう事件があるらしい。 前々から、いつかそういう恐ろしいことが起こるのではないかと不安に思っていたが、面倒さ(やるのが面倒である)と面倒さ(パソコンの動作が遅い)に阻まれて一歩踏み出すことができずにいた。 そして最近、surfaceを購入したはいいものの、やることと言えばYouTubeばかり。こんなん、金をドブに捨てて手に入れたヘドロの持ち腐れと思い、何かしら建設的に生きたいと思い立って、ようやく「日記」のコピーに着手した次第である。 やり方は単純で、過去の日記にアクセスして、コピーして、ワードに貼り付けるだけである。 そうなると、自ずと過去の日記を読み返すことになる。 突然であるが、例えば、僕は小学校中学年頃までは指を吸わないと眠れなかったし、おねしょを全くしなくなったのは小学校高学年になってからである。中学生のときは、美術の「週間スケッチ」にブリーチに登場するキャラクターである藍染隊長を描いて提出していたし、かなり短期間であるが、西尾維新の戯言シリーズにはまって「戯言だけどね」が口癖だった時期がある(母親に「何が戯言か!」と返されて以降言っていない)。 こんな話であれば、私は、「若かったね、幼かったね。」とか「誰でも通る道だよね。」なんて笑いながらお話することができる。それは、もう僕が大人で、当時の自分とは、何となくではあるけど、でも確実にもう全く別の生き物のような気がしているからである。 さて、話題を戻して、自ずと過去の日記を読み返しているという話になるが、これが、もう、辛抱できないくらい、恥ずかしい。 最初は、「恥ずかしいとは違うんだけど・・・・・・」とか、自身の感情をごまかして曖昧にして述べようかと思っていたが、これは恥ずかしい以外の何物でもないので、さすがに嘘をつくのは止めようと思った。 何故か。何故、中学3年生頃までの恥ずかしい話は、笑い話に時が変えてくれたのに、高校1年生の後半から始めた日記はまだまだ現役選手として私をさいなむのだろうか。 その1年に何があると言うのか。来年の今頃であれば、高校1年生のときの分は恥ずかしくなくなっているのだろうか。 いや、ここ数年はもう中学生の頃のことを思い出して急に叫びたくなるようなことは一切なかったはずなので、順繰りに「黒歴史」から「無邪気アルバム」に思い出が移行しているわけではないと思う。 どうして恥ずかしいのか。 おそらく、中学生の頃までの自分と違い、高校生頃の自分は、「切り離せないくらいには今の自分」だからではないかとにらんでいる。 思えば、大きな意味で今の進路を決めたのはあの頃の自分であるし、それなりに変わりはしたものの、価値観の下地はあの頃のままである。 薄目で見た過去の日記の言い分にも、多少なりとも分からなくはないという気もするし、当然であるが、記載されたエピソードに「ああ、確かにそういうことがあった。これは間違いなく僕の過去だわ。」と思い知らされるのである。 なので、結局のところ、調子に乗って同僚の前で見えを張ったことを思い出して顔面蒼白になるのと同じような感覚で、恥ずかしくなってしまうのだと思う。 僕にとって高校生のときの出来事というのは、「昨日の失敗」と全く変わらないイベントなのである。 愕然としている。 小春日和の穏やかな日である。 苦労はしても、笑い話に時が変えるよ、心配いらないらしいと聞いたので、もう少し頑張ってみる。 [挙手] [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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