2020年1月18日(土) 【食卓に嘱託】 毎日同じものを食べている。 納豆と、岩下の新生姜、冷凍ほうれん草を解凍したもの、とうがらしの醤油漬け、である。 人一倍いじきたない自信はあるが、決して高級品でなきゃ満足できないとか、毎日同じものでは飽きるとか、そういう人間ではないらしい。 少し前は、週がわりで豚汁とトマトスープを食べていた。半年くらい。 食に関しては、あまり金を気にしない。 かといって、じゃあ有名店に予約して行ったり、様々な店の食べ歩きをするのかと言えば、そういうことではない。そこまでの労力は割かない。むしろ、労力を割かないことに金を惜しまないので、さきほど言ったようにほうれん草が冷凍である。 とはいえ、お出かけしたときには多少良いものを食べたいというのが人の性なので、出先では店長おすすめのちょっとお高いものや、ネットおすすめのちょっとお高めのお店に入ることもある。これが、僕のところの贅沢である。 しかし、どうして食べたら終わりの食事に金をかけるのがさほど惜しくないのか、ケチを自覚している身からすると、自分で自分がやや不思議になってくる。 これと同じ感覚を抱くものに、音楽のサブスクリプションがある。目に見えない(現物が残らない)サービスに対して金を払っていることに対する違和感が、昔ならあったはずだと思う。 高校生頃まで、私はペットボトルの水やお茶を購入する人の気が知れなかった。だってそんな、家で簡単に無料で作れるものに金をかけてどうするのか、コーラや何が入っているのか分からない甘いミルクティを買えと思っていた。 水やお茶は、家にたどり着いた途端、なかったことになるようなサービスだと思っていたのである。 まあ、まとめてしまうと、無料で代替品が手に入りそうなものに金を使うのが惜しかったわけである。 そう言うと大変当たり前である。 そうすると、今は動画サイトを開けば、(私のやや狭い)日常で気になった音楽であればほぼほぼ無料で聴くことができるし、そもそも動画サイトが未知の音楽の入口として機能している現在、そこから得られる以外の曲が耳に入りにくいという、極端に言えば、音楽については、自分のレベルであれば十分に無料で代替できるであろう世の中になったのに、どうして毎月定額を払う気になったかな自分はと、ふと不思議に思うわけである。 そういう意味では、物品の購入については、100円ショップの商品から明日必要な祝儀袋に至るまで金を惜しむのに比べて、経験とか感情の起伏など、記憶しか残らないものに金を出すのに、そこまで違和感を持たなくなってきたように思う。 つまり、一期一会の感覚に弱いのではないかとにらんでいる。 一瞬の快感に弱いというか、もしかすると快感が得られるのではないかという期待に弱いというか。それなら、ものを買っても同じことと思うかもしれないが、そうでもなかった場合に後悔が目に見える形で残るという選択肢は、かなり勇気がいるのではないかと思う。つまり、ものが残らない方が「どれどれ試してみっか。」というのが、格段にやりやすい! なので、案外、好きな音楽を聴くのと、好きなものを食うのの間には、余り違いはないのかと思う。 ここで、耳とベロ(と鼻)が良い思いをしている一方、目や皮膚はどうかと皆様お思いかと思う。 最近、マッサージによく行くようになったので、皮膚はまあ、セーフかと思う。毎日温泉もどき(温泉の元を入れた湯船)にも入っているし。 しかし、しかし、目はどうかなぁ。 映画とか全然見ないからなぁ。森とか山とか海も見に行かないし、そういう意味では、かなり目には損をさせてしまっていると思う。 ちょっと申し訳ない気持ちになる。 いや、目が大切じゃないわけじゃないんだけどさ、負担かけてるとは思うけど、でもなぁ。絵画とかも、いや、行ったらそれなりに楽しめるんだけどさ、行かないんだよねえ。いや、行きたいんだけど、最近なかなか忙しくてさ。行きたいんだけどね。 というより、むしろ、目からすると、睡眠というか、見ないのが最高の贅沢なのではないかと思い至る。 にしたって無理をさせていることに気が付いて、また申し訳なくなってしまう。 話をやや戻すけども、つまり、耳とベロ(と鼻)については、特に得をさせているつもりなのだが、太りにくい体質なのか、耳も舌も全く肥えない。 大変ありがたい体質だと思う。 余談だが、先日の健康診断で、昨年に比べて3キロ増えた。 太りにくいんですアピールも、そろそろやめどきかもしれない。 [挙手] [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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