2018年5月21日(月)
【対最終巻】

漫画の最終巻を読むと、精神的に大きなダメージを負う人間である。
一言で言うと、感傷的になるというものなのかもしれないが、一言で言う必要がないので言わせてもらうと、ただただ悲しくてしょうがないというか、心がモヤモヤするというか、ふさぎこんでしまい、過去を振り返り、未来から目を背け、閉じ籠りたくなる。
多分、一言で言うと、喪失感なのだろうと思う。

本日読み終えたのは、簡単に言うと、ある成人男性のところに死んだ親戚の娘がやってきて一緒に暮らし、家族になるまでを描くものであった。
ちなみに、最後はその成人男性とその娘が結ばれた。
ちなみに、うさぎドロップではない。

ラストには納得いっていないが、そこに気持ちがもっていかれているわけではない。

とは言え、僕が、なんでもかんでも物語の終わりに対して胸を痛めているわけではない。
漫画や小説のシリーズものの最終巻になると、これがもう辛くなるのである。

では、何故シリーズものの最終巻を目にすると悲しくなってしまうのだろうか。
これは、逆に、単作(そんな言葉があるかは分からないけども)がどうして悲しくならないのかというところから考えると、つまりは、単作というのは、極端に言うと、そのお話の丸っきり全てが、そのラストに向かって収束していくだろうと考えられるだろうと。それは、最初からラストが前提にあるわけだけども、シリーズものというのは、とりあえず最初は続けていくことをひたすら匂わせておいて、あるタイミングから終わらせようとするものであると考えると、なんとなく、それまでの気持ちを裏切られたように感じるというか、続けるって言ったじゃないかというか、僕はまだ満足していないのに、勝手に終わらせるとは何事かと、そういう気持ちになってしまうのだろうと思う。

あんなに、あんなにラストとは関係ないような話を延々としていたじゃないかと思ってしまう。

一言で言うと、「日常回」の多寡なのではないかと思う。
ちなみに、最初から最後の目標がはっきりしていれば(海賊王になるとか、九尾の狐を倒すとか、死神になるとか)、最終巻を読んでも、悲しみの中に満腹感があったりして、そこまで辛くはならない。
辛いけども。

ただ、別にそういうのはどうでもよくて、とにかく、今伝えたい気持ちというのは、もう、僕のやるせない気持ちはどこにもっていけばいいのだろうかということである。
別に、結婚後のすれ違いの話だってできたんじゃないだろうかと。
最終巻と同日発売の愛蔵本に、その後の話を3本も入れてしまうのかと。
それだけでも買おうかといった、そういった、一言で言うと、怒りだと思う。

あとはもう、少女漫画(風だと思う)が、僕にはもうきつかったのかもしれないと思う。

しかし、こうなることを予想していた僕は、ちゃんと、ほのぼのギャグ漫画も借りていた。
これは、簡単に言うと、子どもが、子ども特有のユニークな視点から、愛らしいながらも、時には哲学的で時には現代社会の真に迫るようなテーマを投げ掛けてくる漫画である。
ちなみに、よつばとではない。

しかし、こうした気持ちになるにつれ、まだまだ僕の感受性も捨てたものではないと思う。
中高生のときと比べると、時折泣きたくなるほどに何も感じなくなったように感じていたが、まだ若いと感じた。
今後も、なんか、色々感じていきたいと感じた。


5/21^22:47
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